いつも頑張っているね。

昨年の私の誕生日は、とくに予定がなかったけど、何か特別感を出したいと一人思っていた。

手っ取り早く美味しいものでも食べようかなと思い、週末に近所のショッピングモールへ行きお惣菜やお弁当などの食料品を物色した。

お肉系の料理も食べたいし、彩りよく野菜も食べたい。ケーキも食べたいし美味しい飲み物も買いたい。それにしてもお洒落なお惣菜やお弁当って、実際買おうと思うとけっこう割高に感じる。


良いなと思う品々を一通りチェックした後、誕生日とはいえ出来合いのサラダに1000円近く出したくないわと思い、ケーキと飲み物以外は自分で作ろうと決め、食材とケーキと飲み物を買って帰った。

作るメニューは、お洒落っぽいサラダと、ステーキ&ガーリックライスに決めた。


出来上がったものがこちら。








手作り感が出ているけど、ワンプレートにまとめてそれっぽく盛り付けてみました。

その後はケーキにろうそくを立てて一人で吹き消した。










私の生活の中心となっている仕事について考えてみると、私はけっこう我慢強いというか、余計なことを言わないタイプで、無理してでもやり通す部分があると自負している。

横着な人は便利に私を使ってこようとするし、口先だけの前の上司は私に膨大な仕事を振って自分の手柄を上げることに利用してきた。一方、苦労経験のある人や責任感のある人からは信頼されたり、一緒に仕事したいって言ってもらえたりもする。

私は過去数年間にわたり、横着な上司のもとで無理しながら仕事を黙々とこなしてきた。上司には何度か改善要望を伝えたけど、なあなあにされた。こんな上っ面だけの厄介な人の方が仕事も楽そうだし給料も良いのかよと心底思っていた。

翌年、組織改編があり上司が変わった。次の上司は小賢しいところがなく、ビジネスライクの程よい距離感で誰にでも平等に接してくれた。さらにその後、私のこれまでの仕事ぶりを影で見ていた影響力のある人が、「〇〇さん(私)と一緒に進めたい」と大型案件のメンバーに指名してくれた。


なんか嬉しかった。こんなこともあるんだと。

その人と一緒に仕事をするようになって、無理なく余裕をもって仕事を進められるようになった。忙しい時期もあるけどそのくらい余裕だった。私はそれなりに知識や経験があるので、その人にとっては使い勝手がよくさらに教え甲斐もあるという適度な存在として良いチームワークを発揮できた。


ふと数年前を振り返る。

今よりもずっとずっと大変だった。忙しい中で、人には明かさなかったけど、体が弱ってアトピー、胃もたれ、膀胱炎といった症状が立て続けに現れていた。他にも気圧の低い日は頭痛と怠さで絶不調だった。

あの頃、本当は休息が必要だった。自分を犠牲にして頑張りすぎていた。おかげで担当した案件はどれもスムーズに終えることができたけど。

たしかに自分にしか対応できない事柄も多少はあるけど、大きな視点で見れば自分も同僚たちも歯車にすぎないし、体調不良なんて誰にでも起こること。

もっと自分を大切にしよう。だってこれまで頑張ってきたし。


体調不良を宣言できることって大事だと思う。人によってはしょっちゅう宣言してる人も居る。私は体が丈夫と思っていたけど、ただ我慢強いだけだった。

自分を大切にすること。それは、自分の心の声に耳を傾けること。

自分が何をしたいのか、自分がどういう状態なのか。



話は昨年の誕生日に戻る。

年に1回、自分で自分を労わってあげたいと思った。(と言いつつ、自分へのご褒美は折に触れよくあげてるけど。)

自分がどれだけ頑張っているか、自分が一番知っている。

過去の誕生日を振り返れば、残業しすぎて当日中に家に帰れなかったときもあった。転勤先の慣れない土地で、運転免許の更新に行った日もあった。

ちなみに昨年の誕生日当日は平日で(ケーキを食べたのは週末)、客先から過去の案件についての急な問い合わせを受け、資料を引っ張り出して対応していたら帰るのが遅くなってしまった。このとき同じチームのメンバーが私の様子を心配してさりげなく残ってくれていたことに私は気付いていた。なぜならその人はいつもサクッと帰るタイプだから。その人は、その日私が誕生日ということは知らないけど、問い合わせ対応を終えた私に声をかけ、用件が解決したことを確認するとサクッと帰っていった。さり気ない心配りが嬉しかった。

「おめでとう、私。いつも頑張っているね。お疲れ様。」


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